スポーツーSports

 月曜日までお休みのロングウィークエンド。

 ペンデミックの厳しい規制がこのロングウィークエンド終了までということで、案の定、少々天気が悪くても、多くの人々がアウトドアを楽しんでいた。私達はLittle Elbow/Sheep Little Elbow/Sheep Wildland Provincial Park( リトルエルボー・シープ ワイルドランド州立公園)という、やや南西側へ車を走らせてハイクへ。

 ここは山登りではなく川沿いのトレイルでかなりマイルドなトレイルだけに、小さい子供連れの家族が多かった。私達はちゃんとしたトレイルの中を歩かずに、とにかく川に沿って歩いていたので、途中川を渡ること数回で靴がやや濡れたりしながら2時間楽しんだ。

 話は変わるけれど、ラジオでは、70パーセント以上の日本国民がオリンピックの開催に反対する中、政府はできる限りのことを尽くして開催するつもりだと言っているけれど、決定までの時間は本当に迫っている、と連日同じシナリオが流れている。

 来日する選手たち、オリンピック村で働く日人々などにきちっとした条件と規制をかけて行えば、ゲーム自体は可能だと私は思っているのだけれど、いつものお祭りのようなムードは期待できず、様々なビジネスに大きなデメリットが生じるとは思う。こんなことを言うとスポーツファンにたたかれそうだけれど、もともと一部をのぞいてアスリートたちは稼ぎすぎと思っているし、スポーツ観戦大好き人間でもないし、ゲームさえ行えてTV中継が入れればそれでいいのではと思っているから、せっかく練習してきたアスリートたちのためにも、まあやることをやって帰ってもらえばいいのでは思うのだけれど。

 そんな考えだから、ネットフレックスで「マルセイユ」というフランスのドラマを見ていた時に、サッカーが庶民にとっても政治家にとってもかなり重要なことだということが到底理解できなかった。

 「フランスではサッカーに政治家がこんなにかかわるほど大事なものなの?」とその通りの疑問をダーリンに投げかけると、”Very ベリー(とってもね)”と返ってきた。ドラマの中で市長が心を熱く語る。「見てみろ。球場の人々の多様性を。仕事をし、家庭を守るのが困難な人もいれば、いつもは一緒に顔を合わさない人種も入り混じる。でもこのサッカーという試合場では、クラス階級も人種も関係なく彼らが同じ土俵に立っているような気持で、日常のつらいことも忘れて心を一つにチームを応援する場なんだ。」というような感じだったと思う。

 以前イギリスの映画で、ラグビーの歴史に触れた話を見たことがあるが、その話からはブルーワーカー達の、唯一金持ちたちに勝ちたいという希望や野望が描かれていたし、人々がスポーツを応援することによって求めている気持ちというのは理解できる。映画では、そのスポーツがいつもクラス階級での戦いで、金持ちは働かずにラグビーだけをしているのに比べて、庶民で作られたチームの選手たちは、日ごろは工場で働いていたりと不利な条件の中戦っていた。それだけでなく、肝心な審判やリーグをオーガナイズしているメンバーが貴族達なので、庶民チームが勝つことがなかなかなかった。

 結末は、善良な金持ち選手がいて、リーグをオーガナイズしなおし、すべての選手は他の仕事をせずに、プレーすることで所属している融資施設からお金をもらえるという、プロフェッショナリズムの土台を作ったのだった。私としては、これが間違えだったのではと思った。すべての選手は何らかの仕事を半分し、あとは好きなスポーツに専念するという規定だったら、どんなにその選手を救うだろうと思う。何しろ怪我は付き物だし、スポーツができなくなったら社会貢献ができないというのは悲しい。

 しかし我ながら、ここまで書くと、ホントに社会主義者か、それともかなり古い昭和の考えか?または、好きなことをしてお金をもらう人に対するジェラスなのか、しょうもないかしらん、とあきれてまた開き直る。

 オリンピック、選手たちは決行を念頭に日々過ごしているだろうから、国民のワクチンも含めて決断のスピード感が欲しいところだよな、日本。

 また一週間☆彡