早くも20度越えの週末でうれしい💛
今朝のピラティスセッションでのちょっとした雑談のなかで、クライアントGの親友、ジャパニーズカナディアン(3世)のことが話に上がった。3世ともなれば、両親も祖父母も日本人であるけれど、カナダで生まれカナダで育っている彼女は全くカナディアンであるから、逆に自分が日本人と感じることがどれだけあるだろうか。それでも彼女は、人種差別を感じることがあるというのだった。
それで思い出したのだが、パスポートとアイデンティティーの話がある。それほど前でもないのだが、こちらに住む日本人の友人たちとネットでのチャットをした時だった。
パスポートといえば、日本が二重国籍(デュアルパスポート)を認めないので、カナダか日本かのパスポートを選ばなくてはならないのが日本の決まりなのだが、多くの移民カナディアンは、生まれた国のパスポートとカナディアンパスポートの両方を所有している。ある時ふっと、カナダパスポートを選ぼうかなと思ういきさつがあり、その旨をちらっとチャットでシェアした。
友人の一人ははっきりと彼女の意見をまたシェアしてくれた。それは、彼女は白人の旦那さんと結婚して、事あるごとに家族が集るが、決して彼ら(白人カナディアン)と芯から一緒になることはないし、彼らのようになりたいとも思わず、日本人でいたい、という意見だった。なるほど、彼女にとってのパスポートというのは、彼女自身のアイデンティティなんだなと思った。そしてそれは一般的な考え方かもしれない。
私はそれ以上何も言わなかったが、私のパスポートの考え方はちょっと違うかなと思う。私にとってパスポートは多分、その名の通り「パス」であり、例えば何かあった時、自分に都合の良いパスを与えてくれること、そのパスを持っているがゆえに守られること、だと思う。これはもちろん、わが夫が発展途上国から来ていることもあって、彼から影響を受けた考え方ともいえるだろう。
イギリスから来た人でカナダパスポートを申請しなかったゆえに、ある時何かの事故で法にかかわることになった時、自分の家族をカナダに残したまま、長く住んだカナダからイギリスに強制送還されてしまったという話も聞いた。
長くこちらに住んでいると、日本の友人らの目から見たら、私はかなり西洋かぶれしているか、いろいろずれていると思われているかもしれない。それは否定できないのだけれど、私としては、住めば住むほど自分は日本人だというアイデンティティーを感じるし、より日本人でいようと思うことも多い。仮に国籍を変えたとしても、上記したようにそれはただのパスポートの選択であって、私自身を変えるものではないと思っている。というか、今のところそう思いたい。
話はGの友人に戻すけれど、ジャパニーズカナディアンがとらえる人種差別の感じ方と、ザ・ジャパニーズである私の感じ方はまた異なる。私はちょっとカナダに住んでいるだけの日本人とも言えるから、「出た、レッドネック野郎。本当にしょうもないなこいつら」と心で思えば済む問題も、Gの友人にとってはあるいみ「こいつら」と同じカナディアンという立場にもなるだろうから話は複雑だと思う。
何はともあれ、二重国籍というのはパスを2つも持っているということで、やっぱりいろいろ有利だと思うから、日本も早く古い考えは捨てて認めてほしいなあというのが本音かな。
先進国日本が世界から見るとかなりコロナの戦略に遅れているのでどうしたの、と言われるのだが、ここは離れているのをいいことに都合よく、「どうしたのかね」と他人ごとのように返す。人口当たりのコロナケースが実は多いのが日本だから、早くワクチン接種がいきわたるように願って。
また一週間💛