ロレンスと藤田氏ーLawrence& Mr.Fuita

 名前は知っていてもよく知らないな、と思うものはいくつもあるけれど、最近「イワンのバカ」と「アラビアのロレンス」が引っ掛かっていた。

「イワンのバカ」は以前から変な題名だと思っていた。いったいどういう物語で、なんでこんな題名なのか、Googleで何でも調べられる時代になった今、本を読むのではなく、グーグルに聞いて調べることにした。「アラビアのロレンス」については、何度か映画を見ようと試みたことがあるのだけれど、集中して最後まで見たことがなかった。

 実在した人物ロレンスについては、YouTubeでドキュメンタリーを見たり、ポットキャストで誰かが説明しているのを聞くこともでき、ついでに歴史まで教えてくれている。どうも、ロレンス自身は時の政治に利用されてしまったという結果になっているが、それにしても、今のアラブ諸国といわゆるWestern諸国との関係が悪い原因が、このロレンスと大きなかかわりがあることがわかった。さらに他国を占領してきたイギリスのしたたかさも改めて見た。

 これは日本滞在中のこと。藤田俊太郎という演出家のドキュメンタリーをTVで見た。舞台演出家として日本でいくつかの賞を取り、イギリスのオフブロードウェイの演出に抜擢され作品を公演することになった若手のアートクリエーター。番組はその時のロンドンでの実際の稽古顔合わせから公演までを追っていた。

 驚いたことに、彼が演出を任されたはずが、途中彼を抜擢した人物でその劇場の芸術監督であるTomという人物が途中からほぼ舞台の演出を藤田氏の代わりにしている。言葉の壁や文化の違いは大きいものの、予定どおり練習が進まず時間が押していたことと、役者たちとのコミュニケーションがうまくいっていないことが影響し、Tomが口出しせざるを得ない状況になったというところまではわかった。けれど、藤田氏の代わりに本来演出家がやる役者たちの動き、演技指導、構成など、彼が藤田氏の前でやって見せ、「このやり方をどう思う?以前より前進した、よくなったと思わないかい?だとしたら、このままこのやり方を続けようよ。僕を信用してくれ。」などといって、演技指導を続けて行ったことには腹ただしく、最後までどうなることかと見入っていた。

 イギリス人の前で、はっきりと「いや、ここは譲れない」と意思表示をせず、結局うまく丸め込まれてしまい、悔しい思いを一人かみしめ飲み込むしかない藤田氏がいた。が、それでも藤田氏は、Tom(芸術監督)には感謝しかないと、一歩下がって見つめることにした。

 藤田氏にとって、これが海外で初めての経験だろうから、いろいろな経験を積んでこれからもっともっと活躍していけばいいだけの話だろう。しかし私にとっては、Tomというイギリス人の上から目線ととらえ、かなり思うところがあったのだった。

 日本では役者は監督の言うとおりとりあえずやってみて、監督がやろうとすることを感じ取ろうとするのに対し、イギリスの役者たちは、自分たちが納得するまで話し合い、納得できないと動かないし動けない、という違いはいい。Tomという人物は、ビジネスという側面ではやるべきをやったのかもしれない。藤田氏のプライドとプロフェッショナルな権限を傷つけようが、最後は藤田氏の作品として世に出るのだから、特に問題はないと言えばそうかもしれない。藤田氏は郷に入ったら郷に従えというフレーズを使って自ら実行しようとしていたが、彼ら流で学ぶのであれば、日本人特有の「人の好さ」や「礼儀正しさ」を忘れなくてはならない気がした。無礼にふるまえというのではないのだけれど、いい人を捨てて役者に嫌われてもやるべきことをやるほうが気持ちがいい。

 

 良くも悪くも素晴らしい経験をし、作品で海外、しかも演劇が大御所の国の人々を楽しませるという大仕事をした藤田氏には拍手と尊敬しかないけれど、海外に住むアジア人の一人として悔しい思いが残っていた。

 

 アラビアのロレンスは、裏切ってしまったアラブ人たちを後悔と情の入り混じる思いでいっぱいになり、政治界に声をあげてみたものの、時すでに遅し。そして政治の世界では彼の声は小さすぎた。ロレンスは最後は精神を病んでしまった。

 

 なにより「人に好かれようという気持ちなど持たないほうが、精神的衛生を保てる」ということはある。藤田氏を見ていると、あまりにも繊細過ぎて神経が擦り切れそうでなんだかつらかった。そして、ローレンスはTomのような太い神経は持っていなかったようで、こちらも、過ちを犯した本人だとしてもちょっと痛々しい。救いは、見ている人は見ている、ということであった。ローレンス声を聴いて、密かに背中を押した人がいたのだった。

 日本人の藤田氏のこれからの活躍を期待して。 よい一週間を。