以前、あるフリーのイベントで、徳川家の松商に当たる松平家の出身の方のお話を聞いたのは、2年前の帰国の時だったと思う。とても勉強になる話で感銘し、そのあと彼女の本も購入した。
そして最近所作の美しい女優さんを見た。今までどうして目を向けなかったのかはわからないのだが、彼女の美しさはもとより、毒味も甘みも清潔感も教養も含み、見事にいろいろな役を演じられる知識と感情豊かな女性で、かなり若いころから美しい所作を身に着けただろうとうかがえるほど、「完璧に近く出来上がった」日本の40代の女優さんである。
まったく自慢できないことだが、私はこちらの生活をまあ若い時からある程度してきたことがもともとの素質に加わって、日本人らしい礼儀とか女性として美しい立ち居振る舞いの欠落をはっとしたときに確認する時がある。
はっとしたときの一例を話そう。1年前に帰国したとき、空手をフィットネスに取り入れた体験クラスを昔の部活仲間と受けた時である。インストラクターは男性で、とりあえず彼のやる身振り手振りをまねしていた。そして正座になったときだった。彼はもちろん膝を開いて座る。私もまねをしてそうした。鏡越しに座っているのでふと仲間の姿が目に入った。すると、私以外みんな、膝を閉じて座っているではないか。
あわてて膝を閉じた時は結構な時間がたっていた。常識的な女性らしさの欠乏をまたしても恥ずかしながら経験する。松平さんのお話の一つに、立ったり座ったりするときは決して股を開かない、というのがあったのに。武闘では別でないかとも思うが、その疑問はさておき、私一人が股を開いていたのであった。そしてこれは本当に一例で、人生で「あれ」という似たような場面には何度となく出くわしている。
我を忘れて何かをやらなくてはならないという場合もあるだろう。例えば緊急の事態とか、何か力仕事で足の幅を大きくして安定しなければならないときとか。その女優さんは、役柄によっては̪しとやかさを見せないこともできる。けれど個人としては、日本人的なことをしっかり身に着けて世界に見せつけることができる。
松平さんの本には、型について書かれている章があり、そこに「日本には型破りという言葉があります。師匠から受け継ぐ型を身に着けたその後に、自分流を少し加えるのです。」というようなことが書かれていた。あくまでも、身に着けてから、ということが重要だろう。
久しぶりにまた読み返す。