無の容量ーCapacity of Mu

 いまだに旅行中のクライアントもいるけれど、これから行く人、ボチボチ帰ってきた人、クリスマスの休暇からやっと日常に戻ってすっきりしている人と色々で新年のクラスは始まっている。

 クリスマス前後の時期に、「クリスマスはセレブレートするの?」というような質問を受ける。個人的にという意味での時もあれば日本ではという意味での質問もあり、なんとなく毎年だれかに説明する機会がある。日本ではという面では何とか説明するのだけれど、個人的にというほうはいつもなんとなく説明に戸惑う。

 特にものすごい宗教的にこだわっているわけではないので、メリークリスマスも言わないということはないし、ダーリンも私も「メリークリスマス」と言い合うことに何の抵抗もない。なんとなくクリスマスだから普段作らない料理を作って食べるということも一応心がけている。それでもセレブレートというわけではなく、いつもより時間もあるので料理にも時間をかけるというだけだと思う。だけれど、今書いたことをそのまま説明するのもなんだか間の抜けた返答に聞こえる。しかし結局、そういうことを説明することになるのだけれど。

 ラジオでは、クリスマスが終わり、家や町の飾りが外されている1月というのは鬱気味の雰囲気になるというのが一般的だという話をしていた。同僚の旦那さんは、クリスマスの飾りつけを片付けるととてもセンチメンタルな気分になるそうで、なるべく旦那さんが留守の間に片付け、センチメンタル気分を長引かせないように気を遣うのだそうだ。そうかと思うと、クリスマスの曲を聴くだけで鬱になるという旦那さんを持つ方もいる。

 私はクリスマスが終わりホッとし、新年に入りなんとなく新鮮さと不安と、どこか覚悟を決めなくてはというような気分がまじり合う。ショッピングムードもそろそろ終わり、浮かれた世の気分が落ち着き静けさに戻るところが割と性に合っているのかもしれない。それに、言葉に心が入るのはクリスマスよりも断然「ハッピーニューイヤー」という時だと思う。

 海外にいるからだけれど、大晦日や1月というのは日本の心に帰らなければという気分になる。そういいながら、日本らしいお正月の食事は一切していないのだけれど。カナダという文化が、合理性を重視して型を気にしないというところがある気がするが、私は型というのを重んじる傾向にある。カナダ全土がというわけではないだろうけれど、特にこのアルバータ、そしてCochraneというこの小さな町に住んでいると、大陸の向こう側をいつも見ていないと、あまりの国土の大きさと資源に恵まれた生活にふやけてしまう気がする。

 1,2,3月、そしてちょっと長引けば4月5月まで春を待つのだけれど、この待つという準備期間は、今日は美に感じている。マイナス25度からマイナス30度の範囲を抜けれないこの一週間、まあ辛抱強く。