当たり前でないことーNever Take It For Granted

イースター休暇で金曜日からお休みというカナダ。スタジオも今週末はお休みということで、日曜日のクラスが久々にない。ちょっと長い休日!と思っていたのだけれど、オーナーの体調がよくなくて代行を頼まれ、金曜日の朝の出勤となった。

車で片道40分程度の通勤が頻繁になってよかったことは、その間ラジオをよく聞くことだろうか。眠くて聞いてられない時もあるが、なかなかためになる内容がある。ヘルスケアー系のこともよく流れている。

 

先日は医療ミスの被害者に関するカナダの現状を取り上げていた。ある男性が手術をして、2週間すっかり回復の道をたどっていたのだけれど、その後原因不明の腹痛が続いた。いろいろな検査の結果、スポンジが腹部に見つかり、直ちに手術して取り出すことになった。前回の手術時のミスだった。

スポンジが原因で起きた体への影響と、取り出すことで新たに受けなければならないダメージで、この男性は以前のような生活をできない体となった。そして、二度と以前と同じにはなれないのだという。

 

このようなことはどこの医療でも悲しいかなどうしても起きてしまうことだろうが、カナダでは5件に1件のみが訴訟になるだけで、しかも、訴訟に勝てることはまれだという。以前の3件のうち1件という数字から上がっている。ドクターの保護協会が固くさらに厚くなっているのが数字で表れている。さらに、カナダでは訴訟に勝てることのない医療ミスのケースを引き受ける法律家も少ないのだそう。

 

話しはその後の医療費の問題になるわけだが、基本の医療サービス(ちょっと説明がいるとは思うがここでは省略)が無料であるカナダでこんなことってあるんだ、とさっそく家に帰ってダーリンに話した。

ダーリンはうなずきながら、「これがアメリカだったら訴訟が頻繁に起きて、逆に勝てるケースなので多くの法律家が取り扱う」ということを説明する。つまり、医療サービスがプライベート化(お金がある人がより良い医療を受けれるという結果になるシステム)しているアメリカのドクターたちは多くの保険に入っている。こういうことのためにその保険金は使われるので、お金で解決することになる。法律家にとってはお金が入るのは確実というわけだ。オバマケア―で一時アメリカのヘルスケアーが通常になりかけたけれど、まだまだ誰しもが必要なヘルスケアーを受けれない現状のアメリカ。なるほど、どちらの国にも良し悪しがある。

続けてダーリン、「個人的意見では、ドクターは告訴されるべきではないと思う。少なくとも、意図的に起きたミスでない場合、ドクターは守られていいと思う。」なるほど。となると問題は、その後の保証を国が持つかどうか、被害者のケアーをすべて賄うかどうかになる。

州タックスのないアルバータのヘルスケアーは今のところよく行き届いているらしいが、いつまでも続くと思うな、と、あまり楽天的でなはいダーリン。「君のような人がいっぱいいれば、ヘルスケアーの予算も少なくて済むんだろうけどね」とダーリンは冗談を言うが、医者に行かない私から見ると、みんな行きすぎと思う。普通は使わなくては損とおもわれる毎年の医療積み立てがあれば使うのが常識だろう。

一方、カナダの医療サービスのプライベート化は新たな問題として取り上げられている。平等に受けられるヘルスサービスの下では、必要な骨の手術などは1年先まで予約が取れないというような問題があるためだ。とはいえ、カナダの医療サービスシステムはいい面が多いと思っている。歯科と眼科、理学療法などには国民保険はきかいないとか、ちょっとなんだよと思うこともあるが。

 

ある日の夜のピラティスのクラスにはデンマーク出身のクライアントがいて、デンマークはいい国ねえ、というような話をしていた。何より精神病で路上にホームレス暮らしをするという人はあまりなく、そのケアーがよくいき届いていると彼女は言っていた。

 

それぞれの国の事情はあるとは思うが、うまくいっている国はどうしてそううまくいったのか。

 

案の定コンサバティブ(右派)が勝利したアルバータ州で、カーボンタックスもコーポレーションタックスも失くし、その代り公共の役人や無駄なコストをカットというコンセプトが通ったら、ヘルスケアーのバジェットやクオリティーに関わってくる可能性は高いという。

 

健康が第一。自分で、心身共に毎日のケアーをしていきたい。