その源ーThe Well-Spring of Virture

以前ブログでも触れたが、施設のレジデントさんでいつもは私が担当していないのだけれど、相棒が何らかの理由でいないときに担当させてもらう97歳の美しい方がいる。

相棒のOTA(作業療法士アシスタント)が今週はずっと体調不良で休みだったため、また機会あってセッションをさせてもらっていた。腿の付け根の痛みは10が最高値だとしたら、12だというときでも、「歩かないともっと痛くなるから」とセッションを続ける。15メートルぐらい歩いて車いすにやっと座って休んだ時は、その痛さで目をぐっとつぶって震えてしまうほどの痛さである。

そんな時でも「もうしょうがないわね」という感じで私に笑いを見せようとする。自分に厳しい方だということは、以前のブログでも触れたけれど、ある日、その源を知ることになった。

休憩中、気候の話から農業の話、そして彼女の身の上の話となった。彼女のはじめの旦那さんがとても大きな農場を営んでいたそうだ。ところが、ある爆発事故に合い、やけどが原因で病院に1週間ほどいたが、惜しくも亡くなってしまった。「彼はとってもハンサムで素敵な人だったわ。けれどあの事故はひどかった。人生は残酷ね。」といった。

 

その時、彼女には7歳、5歳、3歳の小さなお子さんが3人いた。農場は売って手放し、彼女は母親の力、義理のご両親の力などを借りて、自分は世界的にも有名で大きな会社に勤めることになる。「仕事は楽しかったわ。そこで64歳(だったと思う)まではたらいたの」。

 

ところが、旦那さんがなくなった後、一番末っ子の息子さんが病気になり下半身不随となって車椅子の生活を送ることになった。26歳まで生きた息子さんは、同じような障害を持つ方のための募金活動で車いすのマラソンに出場したという。とても頭がよくて辞書を読んで勉強をしていた。背骨をまっすぐに保てないので、特殊なベッドを使って体を縛り付け、時に逆さにされなくてはならないこともあった。「それでも、私のかわいい小さな息子は、一度たりとも不平不満を言ったことがなかったの。絶対に言わなかったわ。」

二人のお子さん達がすでに自立していたころには、2度目に結婚した旦那様が他界され、その後はお母様と一緒にすごし、お母様も見送った後は、自分も年を取って2度の転落で股関節の手術などを経験し今に至るということだった。

「今日はダイニングルームまでランチに歩いていくことはしないと思う。十分歩いた感じ。」と、部屋に戻ってセッションを終えた後私に言った。読書用のテーブル(小さめで角度が手前に傾いていて、本を抑えるものがついている)をお子さんに買ってもらったそうで、セッション後からランチまでは、きちっとそのテーブルに向って読書をしている。

 

何から何まで、とにかくできることは自分でやり、手伝えることはできるだけ手伝おうとしてくれるので、彼女の前ではこちらの背筋も伸びる。充実していていつも幸せそうにしているから、想像もしないような人生を送っていたことを聞いて意外だったが、人より多くのつらいことを経験しているからこそ、幸せの味も格が違うのかもしれない。またお礼の気持ちいっぱいでセッションを終えた。