今月のロングウィークエンド。ダーリンのもう一人のお姉さんが来ているので、本当ならBCへ連れて行って数泊するという計画もあった。が、計画が遅いと何所も手ごろな場所は満席ということになる。そればかりではなく、道路も自然火災のせいでBCへ行くメインのハイウェイが閉鎖しており、そうなるとものすごい渋滞が予想できる。
結局毎日この近辺でということになり、またしてもピタラヒード州立公園へ。当日は山羊、山やぎ、シカ、その他の小動物と、期待を裏切らない動物との遭遇。
ダーリンの家族が来るたびに、恥ずかしげもなくこのブログでどことなく不平をこぼしている気がする。しかし今回のゲストは、スイートハートそのものという方で不満のこぼしようがない。兄弟でもこんなにそれぞれ違うのか、と申し訳ないけれど思う。
ダーリン曰く、ものすごい苦労したお姉さんということだが、6人兄弟の上から数えて2番目の義理姉は、ほぼダーリンを育てた親のような存在らしい。ダーリンの家族を通してし見ても、モスリム(イスラム教を信仰する人)には様々な人がいて、みんないつもスカーフできちっと髪を隠しているというイメージは、全くのステレオタイプの見方だったことを思い知らされる。
義理姉はチュニックにㇾギンズパンツルックが多く、合わせの色もちゃんと考えていて、モダンでかわいい。そして一日5回のお祈りはささっと部屋に戻って、スカーフのような薄い布を床にひいて5分ぐらいで終わらせるのだが、きちっといつも自制があり礼儀を失さない。
部屋着、外着、お祈りの服、と少なくともこの3種類をきちっと一日のうちに何度も着替える。しかも、出かけるよ、というときには人を待たせることをせず、ぱっと支度をする。年を取ると面倒くさいことが多くなると思うのだけれど、この人からはそれが感じられない、ハードワーカ―である。
年を取ると、見かけよりも何より内面の輝きが一層大切になるなるということは、衰えていく自分によく言い聞かせるべきことだろう。その内面の輝きというのが実は外面に現れるというのは、しぐさや立ち居振る舞い、話し方、清潔感や着物やものの扱い方に現れるからだろうけれど、彼女はまったくそのお手本。
本当に残念なことに、言葉の壁が大きく、お互いしゃべりたくとも30%わかればいい、という感じはあるが、何とかコミュニケーションできるように、かなり単純化し身振り手振りを含めて話すというのもある意味楽しい。
何をしてもThank youの連続、そしてI am happyが口癖のように返ってくる。義理姉の滞在中は、生けた花たちが生き生きしている気がする。