7月14日、とても心暖かい早めのディナーのお誘いを夫婦で受けた。招いてくれたのはピラティスをプライベートで受講してくれているクライアントのカリッサ。お隣は旦那様のトーマス。カナダ人で私に興味をもって誘ってくれたのはこれが初めてだから、彼女にはなんというか、ものすごく感謝をしている。
OTA (作業療法士アシスタント)の仕事とピラティスの仕事で触れ合う人々は、とても対照的である。スタジオではしっかりとキャリアをもって働く女性も多い。年長の方で72歳の女性がいるが、職業は法律家、子供もいる家庭を持ち、カナディアンとしては小柄な彼女は少々の関節の支障があって難しいストレッチがあるが、それ以外、72歳とは思えないほど素晴らしい動きをする。別にバレエをやっていたとかいうわけではない。そしてまだまだ「上達したい」という野心がある。
一方でOTAで関わるご老人は施設に入っているぐらいだから、それぞれ家族では重荷になる何かしらの症状があって、ほぼ人生の最終の場所として住んでいる。それぞれの心身の苦痛を抱えているのが当然なわけだ。そしてこちらの方が、一般的なのだろうと思う。
72歳のピラティスクライアントの彼女に、私がOTAとして施設で働いているというと、「老人たちね」といって、「私は自分のことを老人と思えないのよ。」と正直なことをいう。そして「そう認めることも、そういう人たちを見ることも、自分もいつかそうなると思うこともとても怖いの」と。元気なうちはこういう気持ちは普通なのではないだろうか。
施設の方々だって、まだまだ「いつかここから出て自分の家で今までどおりの生活をする」と現実を逃避して夢見るケースは珍しくない。弱っていく人々を見ながら自分もいつかそうなるのかと落ち込んだり鬱になるその心は、きっと計り知れないぐらいつらく寂しいものだろう。
2つの違う世界に関われたことは、いろいろな勉強としてよかった。どちらも仕事だから、そこで触れ合う人々に感謝はしても、親しくなろうということをあまり望まない方がいいと思っている。特にクライアントとの間柄というのは近くなりやすい関係だけれど、ビジネス的にリスクや支障が伴うので、その辺のバンダリ―には気を付けるべきというのが常識だろう。
カリッサは、ピラティスのレッスンを私で始めてから1年弱となるが、これと思ったら躊躇せず進む感じで、この秋からは指導者養成コースを受けることになった。インストラクター養成授業の一環としてのほかのワークショップを取る中、クライアントと指導者間の「バンダリ―」について最近学んだといって、「そうだったのね。私の方から近寄って行ってごめんなさい。」とわざわざ気を使ってくれた。
しかしその後が彼女らしく、「ま、でもね、例外も作れるわよ。」といってこのディナーの誘いをくれたのだった。「それに、そのうち私達は同僚となるんだから。」と、早くも近未来のビジョンがしっかりしている。そして、彼女をより知れたことは、喜び以外の何物でもなく、非常に魅力的な女性であることを改めて知った。
健康と日々の喜び、容認と忍耐、感謝と継続。毎日起きていることはすべて大事にすることを学びながら、夏を過ごす。充実した仕事を得て暮らしている初めてのカナダの夏を。