アンソニー・ブデインの最後は、生きるということと食卓の大事さを私に考えさせている。
TVのブデインは、世界中を飛び回り、独特の、しかしいつもニュートラルでかなり正確な視線でジャーナリストとしてもレポートしてくれていた。そのレポートがいつも食を通してだったのは、元シェフだった彼ならでは。現地の人々とテーブルを囲み、話と食事をおいしく味わっていて楽しそうだった。住みたい場所を一か所選ぶとしたら迷いなく「日本」とい言っていた親日家の彼だった。
2度の離婚をし、娘さん一人いながらも、若いころからドラッグアディクション、ディプレッション、そして自殺思考が何度もあったと彼の本の中や番組中に自白しているとメディアは言う。ホルモンのバランスが崩れていたのかもしれないし、過去の出来事のトラウマが原因かもしれないし、どことも落ち着けない多忙な仕事が孤独感を救いながらも、追い打ちをかけることがあったかもしれないし、もっともっと大元の原因もあったかもしれないし、とにかく今となってはいろいろな人が分析することはあっても、事実ははっきりとはしない。複雑かもしれないし、あまりにもシンプルな原因だったかもしれない。
多くの人に愛されているその人柄だから、もうちょっと長くいてほしかったけれど、それでも、彼の選択となってしまったことには仕方ない、と思うしかない。ただ、月並みに考えると、いつも自分のために食事を用意して待っている、または、用意してあげる人がいて、決まった部屋の同じテーブルで食事ができる、という時間があるのは、なんて心の休まることだろう、と改めて考える。
そして住む家。年に何カ月はあっちに、数カ月こっちに、またこっちにという生活を好む人も現にカナディアンには多くいるし、ホテル暮らしを好む人もいるだろう。しかし「暮らす」ということが人生の楽しみであり、仕事でもある気がするから、やはりあまり生活感がないというのは、少なくても私には心のバランスを崩す大きな原因となるだろう。そう思うとブデインには食卓の決まった空間も、「家」にいる時間も、どちらもかなり少なかっただろうと思う。
ちょっと話がそれるが、昔NYにいたころ、国連本部の建物の中にアフタースクールがあり、外交官や国連の職員たちの子供達が学校が終わった後そこに来て、親が迎えに来る時間まで過ごしていた。私はそこで、主にダンス、ローテーションでスポーツやアートを教える(といっていいかわからないが)インストラクターとしてバイトをしていた。そのつながりで、東ヨーロッパから来ていた外交官の奥様から、ある夜ベビーシッターをしてほしいと頼まれ、ローワーイーストのアパートに伺ったことがあった。
二人のかわいい娘さん達に逆にベビーシッターをしてもらった気がするぐらい、踊りや劇を衣装付きで見せてくれたりして、私が何かしてあげることは何もなく、楽しくただお邪魔しただけだった。驚いたのは、その住まいの生活感のなさだった。最低限の必要なものはそろっているが、部屋のデコレーションを楽しむのでもなく、何所か深々としていた。
外交官の生活というものがそうなのか、国民性なのか、または割と来て間もないころだったから、詳しいことはわからない。ブデインに比べれば、少なくとも家族が一緒に過ごしているというのは大きい支えかもしれないが、それにしても家やものへの愛着が強い自分にはかなりストレスになる生活だろうと想像する。
平々凡々の私の幸せ、そして心のバランスとは、食事の用意をしていつもの場所でいつもの人と食事をするということが、できるだけ長く続くことだと、ひっそりしかし強く思う。