眺めーThe View

いつどこにいても空の美しさは変わらなくて、この感動をどうキャプチャライズしようか、とまたしても無謀な試み。ベッドルームから見えるこ眺めは、ぼーっとするのにちょうど良すぎ。

 

今週は人と会う機会が多かった。隣の凍に住む日本人のおばあさんが呼んでくれたお茶での席では、二組の日本人夫婦と1歳児のお子さん。それから、Mさんとのカルガリーのピラティススタジオでの時間と、その後の夕食、そして帰りの車の中でのおしゃべり。相当楽しい夜だった。

 

他人のこと、他人を通して自分のことなど、人と会うと気づかされることがあるから、やっぱり社交は大事。今回そういえばそうだった、と思い出させてもらったことは、カナダの仕事場におけるカルチャーについてだった。

 

カナダの仕事場で重視されるのは、業績や結果を出すことや、正しくあることとかではなくて、どれだけ人とうまくコミュニケーションがとれてみんなとうまくやっているか、であるということ。その人曰く、「俺は業績はほんとに多く持っていて、かなり人より上の業績だとおもう。でも、こっち、そんなこと関係ないんだよね。いくら業績をあげたって、給料変わらない。一言卑猥な言葉をある日スピーカーで言ったとしたら、即アウトよ」。ちょっと前、無料で受けた郊外に住む移民向けの、”Workplace Communication For Rural Immigrants”という半ばおせっかいな内容のプログラムでも、そんなことを習った。スキル重視になりがちなのが移民に多い例だけれど、カナダの社会ではそうではありませんよ、という。実力社会ではないという風にとらえてしまいたくなるこの傾向。

 

一方で、Skilled Workerというカテゴリーの移民制度があるので、移民がスキル重視なのではなくて、スキルが高い人が多いからそのようにみられがちという説明をしていたビデオはいつも記憶の中にある。コミュニケーションに関しては、カルチャー的な習慣、使うボキャブラリー、表現の仕方の違いなど、どうしたってハンディーというか、誤解を招くことは多い。カナダがもっと人種のるつぼ的な考えだったとしたら、それぞれの違いを理解しよう、という見方になっていくだろうに、実際はそうでもない(難民の受け入れに寛大なことはアメリカとの比較でメディアに報道されているとしても)。

 

私から見れば、ちょっと大げさな言い方だけれど、どんなに間違っていようと、その時に説得力と自信をもった態度と巧みな言葉で伝えられた方が、信用も買うしうまくやっていける、という風に見れる。たとえ後で間違えていたことを分かったとしても、それを気にするどころか忘れるぐらいの楽観的な考え。言いすぎかな?

 

輪を大切にする、というところは日本と似ているようで、どこか質が違う、、、と表現できないムズムズ感。結局、悩むことは何もなくて、しょうがないこともあるわけで、気持ちよく過ごしていくことにフォーカスするしかないわ。と、あれ、楽観楽観。